よく聞いているPodcastのRebuildで紹介されていて面白そうだったので『禅とオートバイ修理技術』を読んでみた。
※どのエピソードで紹介されていたかは覚えていない...
どんな本なのか
著者と息子がオートバイでアメリカを旅をしつつ、そこでの出来事や思い出した過去の記憶、そして哲学的な問い(古典的理解、ロマン的理解という2つの理解態度から始まりクオリティへ)が語られる。
ジャンルは哲学書に分類されるようだが、著者の自伝、ロードトリップものとしても読むことができる。
ちなみにタイトルのオートバイの修理技術については哲学的な話の導入として用いられているもので、禅については一応記載はあるもののおまけ程度と言ったところ。
なので禅の本でもなければ、オートバイの修理技術についての本でもない。
感想:分かったような、でもまだ分かってないような
まず読み終わって思ったのはこれ自伝(ノンフィクション)なのか!ということ。
まあ、詳しいことは本書を読むかWikipediaでも読んでいただければと思いますが、哲学しているうちに精神を病んで人格を失うが(記憶を失う)、オートバイの旅の中で過去の記憶と思索の世界へと分け入っていくというその不思議さだ。
語りが独特なので実話と思って読み始めたのに、理解が間違ってたかなこれはフィクションかなと切り替えて読み進めて、最後に理解・整理のためにインターネットで調べるとやっぱり実話やん!って感じだ。
オートバイの修理という観点から世の中には古典的理解とロマン的理解の仕方があるという話へ進む。
古典的理解はテクノロジーや科学に関連付けられ、物事の仕組みや裏側を理解しようとする態度で、
ロマン的理解は芸術に関連付けられ、物事をそのまま、直感的に理解する態度だ。
オートバイの修理でいうなら、仕組みを理解して対応するのが古典的理解、たたいたり取り合えずエンジンをふかしみたりするのがするのがロマン的理解の態度ということになる。
これらは2つの理解態度は分かれてしまっていて、まるで別々のものかのように思われているが、それらは実際には相反するものではなく元々は「クオリティ」という一つの概念が根源にある。
というような話がオートバイの旅の中、過去の記憶と哲学史ともに語られる。
※僕の理解と説明力ではこれ以上を今の段階で説明することができない!
正直言って、ながらで一読というには手強い一冊だ。
ちゃんと理解しようと思えば腰を据えて読む必要がある。
じゃあ哲学的な部分が理解できなければ読まなくていいのか、通勤途中にちょっと、みたいな気持ちで読むのではいけないのかと言えばそうではない。
単純に一つの物語としても興味深いと思うし、ITエンジニアとしてはどこかに必ず心に留めたくなる一文や考えがあると思う。
オートバイに乗る人は言わずもがな。
例えば作業を行うのに大事なのは心の落ち着きであることに触れている点が僕にはしみじみとくるものがあった。
(本番作業とか、構築作業ってそうだよね!)
一部引用が以下のブログ記事にあって、「そう、そこね!」となるポイントが引用紹介されていたので紹介しておく。
ということで少し長いし難しいとは思うけれども興味を持った人は読んでみてほしい。
僕もまたどこかのタイミングでじっくりと読む機会を設けたい。